雨が嫌いだ。 湿気は鬱陶しいし、歩けば着物の裾は濡れるし(水溜りなんぞに間違って入ってしまったら尚更)、出掛けるのが億劫になるし、昼間だって只でさえ薄暗いのに夜は月も出なければ 湿った土の上は歩きにくい。 何より、湿って煙管に火が点きにくいのが一番鬱陶しい。 「・・・・っち」 舌打ちをして煙管を咥えて 何処とも知らない閉まった店の扉にもたれる。 店の出口のスペース分のみの小さな屋根の下、じんわりとした湿気に眉をひそめる。 さっきは小降りだったのに、今や本降りとなったのか 小さな屋根はぽたぽた、等という品のある音ではなくばたばたと慌しい音を立てぼたぼたと水滴を落としていた。 「・・・これは暫く降るな」 そう呟いて、ため息を吐く。 扉にもたれ掛かったまま、目を伏せる。 殆ど目をつぶった状態で聞こえてくるのは、慌しい雨音と、雨音のせいで掻き消されている通行人の声。 完全に目を閉じ、雨音に耳を済ませていると少し鈍い雨音よりも高い音が耳に届いた。 「晋助さん! こんな所に居たんですね」 うっすら目を上げると、傘をさしたが少し息を切らせて立っていた。 傘をさしている手と逆のほうを見ると、俺のだろう 傘をもう一つ握っていた。 は只でさえ狭い小さな屋根の中に入り、傘を閉じ俺と同じように扉にもたれ掛かった。 横目で見ると、傘をさしていたようには見えないほど 肩が雨に濡れ着物の色が変わっていた。 「傘、さしていたのに濡れてるな」 「あ、そうなんですよ。 横降りだから傘全然意味無くって」 濡れて幾つか顔にひっついた髪を指で払いながら、は困ったように笑う。 ぽたぽたと、後ろで結んだ髪の束から水滴が少し落ちていた。 「わざわざ一番降ってるときに、何だって言うんだ?」 「何だって。 晋助さん困ってるだろうなと思って傘届けに来たんですよ」 「・・・面倒なことを」 そう言って笑うとは、なっと言ってちょっと起こったような顔をした。 そしてさっき閉じた傘で地面をごりごりしながらがぶつぶつと不満を言うのを俺は気にも留めないで居た。 「せっかく持ってきてあげたのに・・・・・ って、聞いてますか晋助さん?」 「あ? 聞いてない」 「・・・いいですよ。 晋助さんに傘、あげませんから」 「別に欲しいなんて言ってねぇよ」 「・・・・・・・そ」 そうですか、と不満そうに言っては暫く黙っていた。 止みそうにも無い雨音を聞いていると、ふと が小さく欠伸をした。 「帰りたいけど帰れそうじゃないですね」 「お前はこんな中来たんだから帰れるだろ」 「さっきより酷いですよ」 「雨女なんじゃねぇのか、お前は」 「・・・・・・・ ち、違いますよ」 たぶん、と小さく続けてはちょっと複雑そうな顔をしていた。 俺がちょっと笑ったのを見てますます複雑そうに目を伏せた。 「軽い雨は好きだけど、こういう雨は嫌いだなぁ」 暫くまた沈黙の後、が灰色の空を見ながら呟くように言った。 「軽い雨って何だよ」 「こう、さぁって感じの。 雨の匂いがわかる感じの」 「雨に匂いなんてあるのか?」 「ありますよ。今はちょっと、しない けど・・・」 そう言いながらはすう、と目を閉じた。 匂いを嗅いでいるらしいが、やはりしなかったらしくすぐに目を開いた。 そうしてまたぼんやりと、灰色の空を見つめていた。 気がついたら、何故か手が伸びていて。 気がついたら、何故かの顔が目の前にあった。 まだ少し雨が滴る前髪を払いながら空を見つめている目を 俺に。 何故か無性に、向けたくなった。 「 し、 ・・・すけ さん?」 目を丸くしながら、は俺を見つめた。 の目に俺が映ってるのが見えた満足感と共に、動機は無いがいっそもう口付けてやろうかという思いが芽生えた。 は小さく俺の名前を疑問符つきで呼んで、そのままじっと固まっていた。 特に意味は無いのにちょっと笑って、手を離してさっきと同じ様に店の扉にもたれ掛かる。 は腕を引っ張られたままのポーズで暫く固まっていたが、少しして同じようにまた扉にもたれ掛かった。 さっきと違うのは、さっきより俺に近いということだけだ。 「晋助さん」 「んだよ」 「雨、止みませんね」 「ああ」 「まだ、降るかな」 「さぁな」 「まだ、止まなかったらいいのに」 「 ・・・そうか?」 そうですよ、という言葉とともに体の左側に重さを、感じた。 重さが乗っかった左側に目をやると、気分よさそうに目を閉じて口元が緩んだがいた。 雨は嫌いだ。 鬱陶しいことこの上極まりない。 が、まぁ。 「 別に、少しくらいは構わない か」 そう自分で呟いて、思わず笑った。 雨宿り (感じたのは重さと温もりと、 なんて。)
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