潮の香りが鼻についた。
潮風は好きじゃない。べたべたするし、この香りが好きになれない。
でも君は、よく言っていた。海は生命の母だと。
海から生命は生まれたとかなんだとか、そんな科学的なことにはさほど興味はないが、なんにせよ 僕はあまり海が好きじゃない。
でも、君は、は、 好きだった。
「快晴ですね」
ぽつりと呟きが漏れる。特に誰に向けて言ったわけではないから、返事はない。
さあ、とつぶやいてポケットから瓶を取り出す。
蓋を開けようとして 手が止まった。
「もう、撒いたら、…本当に僕は」
独り言が多い人は寂しいらしい。間違いではないだろう。
瓶を握ったまま視線を上げる。
真っ青な海が大きく口を開けて瓶の中身を撒かれるのを待っていた。
瓶の中の灰がさらさらと揺れる。海もつられたかのように揺れた。
君は言った。海は生命の母だと。
そんな君は、海に還るのだと、言った。
ただただぼんやりと海を見つめていると、の台詞が浮かんだ。
「私ね、死んだら灰は海に撒いて欲しいんだー」
「・・・・急になんですか」
「いや、海は生命の母だって言ってるでしょ」
「言ってますね。よく。」
「だから、最期は海にかえりたいのよ」
「・・そうですか。で、何で急にまたそんなことを?」
「や、なんとなく。」
「また貴女は意味のわからないことを・・・」
彼女は笑って、続けた。
「もし本当に、私が骸より先に死んだら 海にかえしてね?」
「そんな日は来ませんね」
「何でよ」
「貴女が僕より先に死ぬなんて、僕が君を殺す以外ありえないですよ」
そう言われたは少し止まってから、笑った。
骸らしいね、そうかもしれないね、そう言いながら。
僕だってそうだと思った。
そんな君は、今やもう瓶の中。
この少量の灰が、そのもの。なんて、笑い話だろうか。
の願いを果たすため、わざわざ好きでもない海に来たのだがさっきから瓶の蓋を開けることが出来ない自分がいる。
中身を撒けば、彼女が本当に海に還ってしまう気がしていた。
彼女の面影をこの唯の灰に託している馬鹿な自分は、海に彼女を、を、盗られたくないのだと思っていることに気付き、ますます 自分を弱く感じた。
「これでは、笑われてしまいますね」
そう苦笑するも、蓋にかけた指は動かない。
波の音がの台詞と混ざって脳内に響く。
「海、海、海に行きたい」
「…またですか」
「連れてって」
「貴女の身体の調子が戻ったらいくらでも連れていってあげますよ」
「いくらでも?ほんとに?」
「ええいくらでも」
「ふふ、やった」
嬉しそうに微笑むを見ていると、体調を心配していた自分が馬鹿らしい。
ため息をついて、に話し掛ける。
「まったく…本当に貴女は海が好きですね」
「うん。だって生命の母だよ?」
「理由になっていない気がしますが」
「だから、だよ」
「?」
「生命の母だから、だから好きなの。理由なんてないの」
そう言うは、窓の外を遠くを、見つめたままだった。
そうですか、と答えた僕には振り向いて笑った。
「骸を好きなことにも、理由はないよ」
にこにこと笑うに、思わずつられて笑ってしまった。
「…僕も、貴女を愛していますよ。理由なんて、なく」
そう言いながら口付けたら、は嬉しそうに笑った。
目の奥が熱を感じて波の音を、を、振り切るように勢いよく瓶の蓋を開ける。
さあっ、という音とともに灰が舞って海に吸われていく。
ああ、情けない。目の奥が、熱い、
――――むくろ、
ふと。近くで声が聞こえた。
驚いて振り返るが、何もなかった。
再び海に目線を戻すと、きらきらと海は彼女の面影と輝いていた。
言葉を失ったままでいると、頬を伝う涙で自分が泣いていることに気がついた。
拭わないままで立ち尽くしていると、涙が口に入って来た。
ああ海の味だ、と 思った。
初めて、海に愛おしさを感じた。
君に呼ばれた気がしたんだ
(確かに君だった、なんて思う哀れな僕に 君は泣いてくれるのだろうか) (それともいつかのように、笑ってくれるのだろうか)
Fin
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恋人を亡くしてしまった骸。
最近ちょっと明るいの?が珍しく多かったので、この暗さが懐かしかったりします。
暗く、悲しい、痛い、中にある甘さを感じてもらえたら幸いです(あるのかどうか微妙)
タイトルは「確かに恋だった」より
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